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例年、カナダ各地では11月11日のリメンバランス・デイ(戦没者追悼記念日)の催しがある。今年(2001年)
は9月11日の米国テロ事件があったことから、私は複雑な思いを抱きつつ、トロント大学へ出かけた。
トロント大学キングス・サークルを巡ると、戦没者を祀る戦士の塔が見えてくる。1924年に建てられた慰霊塔だ。
塔の頂上のメモリアル・ルームには、戦没者の写真やメダルなど、戦時に関連した品々が展示されており、リメンバランス・デイには一般公開されている。
塔の横の白壁には、トロント大学にゆかりのある人々や卒業生の戦没者名が刻まれている。白壁のひとつには、「フランドルの野で(In
Flanders Fields)」の詩が刻まれている。トロント大学で学んだ後に従軍医師となり、第1次大戦の戦地で亡くなったJohn
McCrae (ジョン・マクレー、1872〜1918年)が創作した詩だ。この臨場感あふれる詩がイギリスの雑誌に発表されるや、人々の心をとらえ爆発的に広まった。
銃撃に倒れ血にそまる若者達と、戦地に咲き乱れる紅いポピーを描いたこの詩は、ヨーロッパ各地だけでなく、北米大陸でも人々の口にのぼるようになった。マクレーの詩に描かれた紅いポピー(ケシの花)は、北米では1920年頃までに第1次大戦のシンボルとなった。リメンバランス・デイはポピー・デイともいわれている。
第一次大戦(1914-18)の頃、L.M.モンゴメリはオンタリオ州のリースクデール村に住んでいた。刻々とかわる戦況に一喜一憂し、村の若者が戦地で亡くなると心を傷めていた。出征した義理の弟は片脚を失って帰国した。
1918年4月7日付けの便りを、モンゴメリはスコットランドに住むペンフレンドのジョージ・ボイド マクミランに書き送っている。
新兵を募る会のときに、私が何を暗唱したかおたずねでしたね……アンコールにこたえて、いつも私が暗唱したのは、“フランスのどこかに”眠っているカナダの兵士が書いた『フランドルの野で』です。この詩は、驚異的な成功をおさめています。あちこちで発表されていて、あなたもご覧になっていることでしょうが、まだかもしれませんね。ここに切り抜きを同封します。たいへん素晴らしい詩だと思います。(拙訳、My Dear Mr. M, Toronto: Oxford U.P., 1992)
マクレーの詩は、作家モンゴメリにインスピレーションを与えたにちがいない。「フランドルの野で」の影響は、「赤毛のアン」の続編で、第一次大戦をテーマにした「アンの娘リラ」(1921) の中のエピソードのひとつに見ることができる。
アンの息子ウォルターが戦地で創作した詩「笛吹き (The Piper)」が発表されるや、即座に広まり、多くの人々の涙を誘うとともに愛唱されるようになったのである。
村岡花子訳の「アンの娘リラ」の第19章を見てみよう。以下は、戦地フランスからのウォルタ-から妹リラへの便り。
僕 は炉辺荘の庭のスイセンのことを考えている。この手紙が届く頃には美しいバラ色の空の下で咲き出しているだろう。スイセンはほんとうに前とかわらず美しい金色をしているかい、リラ?僕には-- ここのケシの花のように--血で赤く染まっているに違いない気がするのだ。
リラ、小さな詩を一つ同封する。これはある晩、塹壕の地下室の中で一本のローソクの光をたよりに書いたものだ--というより自然と浮かんで来たのだ--。
その詩は短い力の籠ったものだった。一ヶ月後にはこの詩は全世界のすみずみまでもウォルターの名前をひろめていた。
これを読んで母親や姉妹達は泣き、若者達は血を湧かせ、人類の偉大な心全体がこの大戦争のあらゆる苦しみ、希望、憐れみ、目的の縮図を三つの短い不滅の節に結晶させたものとしてこの詩を掴んだ。ウォルター・ブライス兵卒作『笛吹き』は初めて印刷されたときからすでに古典となっていた。
上記の最終文の前に村岡訳では、訳されていない以下の一文章があります。
A Canadian lad in Flanders trenches
had written the one great poem of war.
カナダの一兵士がフランドルの塹壕で偉大なる戦争の詩を書いた。
上の一文を読むとカナダの読者なら、即座にジョン・マクレーを連想することだろう。ジョン・マクレーとウォルター・ブライスは、フランスのフランドルの地でそれぞれの詩を創作し、そうしてふたりの詩は世界中の人々の心に訴えかけたのだった。ふたりの詩人は共に戦地で亡くなっている。モンゴメリは、マクレーを充分に意識していたものと考えられる。
詩人でもあり医師でもあったマクレーと作家モンゴメリは、縁があるようだ。彼のほうが二歳上ではあるが、偶然にもふたりは11月30日が誕生日で、ふたりとも長老派信者だ。また、トロント西方のグエルフ大学にはモードの資料室が在るが、ジョン・マクレーを記念するマクレー・ハウス博物館も彼の出身地グエルフにある。
さて、1997年にジョン・マクレーの戦争のメダルが競売にかけられた。国立戦争記念館もマクレー・ハウス博物館にも予算がなく、購入は無理だとされた。カナダの宝が国外にわたる可能性もあると新聞は書き立てた。国立戦争記念館では、ジョン・クレチェン首相にこの件で面会を願い出たとも報じられた。
ところが、競り落としたのは、どの団体でもない、全く無名の個人だった。その人は、中国系カナダ人の若いビジネスマン、アーサー・リー氏。彼は、なんと40万ドル(およそ3200万円)をつぎ込んだ。(後の報道で、税金などを含めると50万ドル以上をリ−氏は負担したという。)
更に、カナダ国民を驚かせたことに、リー氏は、競り落としたその場で、メダルをマクレー・ハウス博物館に寄贈すると申し出たのだ。移民の自分を受け入れてくれたカナダ国家のために何かしたかったと語るリー氏は、競売の直前に、マクレーの詩を初めて読んで愛国心をかき立てられたという。現代のカナダ国民を感涙させたリー氏、そしてその力をマクレーの詩は今ももっているのだ。
モードも暗唱した「フランドルの野で」は、カナダではリメンバランス・デイに必ず唱和され、その詩にうたわれた紅いポピーの造花を、戦没者の死を悼み、胸に飾る習慣がある。毎年、リメンバランス・デイの催しに戦士の塔を訪れると第二次大戦を経験した退役軍人が参列し「フランドルの野で」が唱和される。キルトの出で立ちのパイパー達が、バグパイプを吹き鳴らす。
その音色を聴いていると、戦争を予言するモードの作品『虹の谷のアン』のイメージ-- パイパー(笛吹き)の後をついてこの世から消え去ってゆく子どもたちの姿--を想像してしまうのだった。
マクレー・ハウス博物館のHP、McCrae House:
http://guelpharts.ca/mccraehouse/
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