モードの伝記を著したMollie Gillen(モリー ギレン

「モリー ギレンさんがトロントへ越してきたから会いに行ってはどうかね」と知人のケヴィン マッケイブ(大学で教鞭をとるとともにモードの詩集の編集者でもあられる方)から連絡をもらった。モリー ギレンはオーストラリア生まれで、今年の11月で88才になられる作家。私が読んだことのある彼女の唯一の作品といえば、1976年に英国で出版されたモンゴメリの伝記モThe Wheel Of Thingsモ (邦題「運命の紡ぎ車」)だ。

9月の小雨の降る土曜日の夜、私はモリーの住む高層アパートを訪ねた。ドアのところで私を迎えてくれたのは、白髪の美しい、肌がとても白い高齢の婦人であった。歩行がやや困難なことと、目が不自由になってきたことが不満だと言いながらも、キッチンへとことこ歩いて行くと、白ワインをグラスに注いで私に手渡してくださった。

モリーは長年英国暮らしだったが、トロントに住んでおられた息子さんが、今年の春にオーストラリア旅行中に車の事故で亡くなられたことから、彼の住んでいたアパートへ自分が移り住むことにしたのだという。遺品に囲まれた部屋で、友人もいないトロント暮らしはどんなにか淋しいだろうとの私の思いをよそに、モリーは、「次の作品の為の資料集めに忙しいんですよ。とにかく隠れた資料を発掘するのが好きでね」といって、モードの伝記を書くいきさつを語ってくれた。

「かれこれ20年以上も前のことだけど、当時私は雑誌 "Chatelaine" の記者で、モード生誕100年を記念しての記事を書いたのです。その際、いろいろな方にインタビューしたり、自分で調査した資料が膨大に集まったことから、後に一冊の本にまとめたのが’運命の紡ぎ車’となったわけです。執筆にあたって、モードの息子のスチュワートに、モードは筆まめだったから日記を残していないか、あったら見せて欲しいと頼んだのですが、彼は’母は日記など付けていません。ありません。’と素っ気無かったんですよ。それで、私は当時誰も探しだしていなかった、モードの文通相手、スコットランドのアロウアに住んでいたジョージ ボイド マクミランのことを追及したんです。」

モリーの紅い眼鏡の縁が電灯の光で時折ちらちら輝く。彼女は淡々と話を続けてくれた。

「アロウアは小さい町だし、新聞社や図書館宛に便りをだしてマクミラン氏の子孫捜しをしたのね。遂に氏の甥を捜しあてて、モードからの手紙の束を発見できたときはうれしかったわね。これらの手紙のおかげで随分モードのことがわかったの。」

モードからマクミラン氏に宛てた手紙の束はトランクに入れられたままで、マクミラン氏の甥にあたる方は、捨てる予定だったらしい。甥にあたる方は、当時慎ましい生活を送られていたそうだが、後に、これらの手紙が貴重な資料としてカナダのオタワの図書館に買い取られたことから、「それで甥子さんはね、車を購入できたのよ」とにっこり笑うモリー。彼女がモードの手紙を発見したおかげで恩恵を受けたのは、モードファンや研究者ばかりではなかったようである。

「モードの伝記を出してから、リースクデールの村の人達から苦情がたくさんきたわね。」赤裸々なモードの人生をあばいたことで多くの読者から反感を買ったというモリー。しかし、彼女の著した本格的なモードの伝記は、数多の好意的な書評を得ており、現在でも論文の重要参考資料として頻繁に使用されている。書評のなかにはモリーのことを「資料を掘り起こす探偵伝記作家」と称賛したものもある。マクミラン氏の手紙を発掘し、オタワの図書館へ働きかけて資料として保管する手続きをし、後世の研究者への道を拓いた功績は偉大としかいいようがない。

モードがマクミラン氏に送った「Further Chronicle Avonlea(アンをめぐる人々)」の本を氏の甥子さんからモリーは譲られたという。この本はペイジ社がモンゴメリの許可なく出版したいわくつきの短編集で、モードは生涯これを自作品の数にいれなかったという。その本をマクミラン氏に送ったのはどうしてなのだろうか。

「実は、その本を開けてびっくりしましたよ。なにしろページごとにモードがぎっしり自分の不満点を書き込んでいるんですから。この数行は、こう書き直すベき箇所だったのにとか、いろいろね」とモリー。残念ながら、この貴重な本は事情があって、P.E.I.のボルジャー神父に譲られたそうである。

ところで、モンゴメリに負けず劣らずモリーも文筆家として書き続けてきた。「雑誌記者時代に記事を書くための資料調査をしている時はね、出張先だと夜中に図書館で調べものをして、朝6時にホテルへ戻ったものでしたよ。それから3時間寝て、雑誌のインタビューに出かけたものでした。とにかく調査するのが好きでね。執筆した本のなかには調査を始めてから出版までに20年かかったのもあるわね。」

そう語るモリーの机の上には、お手製のカードカタログの箱がワープロの横に置いてあり、壁際の黒い木製本棚には本がぎっしり並んでいる。ベッドの横のファイリングキャビネットには、現在調査中の「英国からオーストラリアへ渡った船員たち」の資料が詰まっているという。

雑談をしているうちに夜も10時を回っていた。暇乞いをすると、モリーは背後の書棚から「運命の紡ぎ車」の本を取りだし、「日本語の本は私には難しいからね」と言って私に手渡してくださった。サインをねだると「それじゃ、タイトルページに書くけど、どこがタイトルページなんだろうね」と冗談っぽいモリー。「また、遊びに来てくださいね」とモリーに言われ、椅子から立ち上がったとき目についた彼女の机の上のカレンダーのページは、2月。息子さんが亡くなられたのは、2月だったのだろう。

モリーの高層アパートを出ると冷たい秋雨が降っていた。ひんやりした外気にさらされながらも、私はなんだか温かいものを感じながら、街路灯に照らされたアスファルトの道を帰途についたのであった。

(上記文章は、「Buttercups通信」1996年 第115号に掲載されたものです。)

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