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The Selected Journals of L.M. Montgomery
1998年10月18日の日曜日、アックスブリッジのミュージックホールにて、モンゴメリ日誌第4巻の発行記念講演会がありました。午後1時くらいから、日誌の編者ウォーターストン博士とルビオ教授の講演を聞きに、多くの人たちがホールに集まって来ました。長いテーブルが4列ほど演壇の前にしつらえてあり、私の向かいの席には遠路はるばるアメリカ南部からかけつけたというご夫妻が座っていました。周囲の方々とおしゃべりしながら、ヴォランティアの人たちによって用意されたパイとお茶をいただいていると、編者のおふたりが演壇に登場されました。 ウォーターストン博士とルビオ教授は、1929年から35年にかけてのモンゴメリの日誌の中から、いくつかの興味深い点を紹介されました。狂信的ともいえる同性愛嗜好の女性ファン、イザベルからの電話や手紙でのしつこい誘いやプレゼントに悩ませられるモード。聴衆のなかから「何故モードは、そのファンのことを絶ち切れなかったのか」と声があがると、ルビオ教授は、「モードは、根本的に優しい人だと思います。また、愛情に報いないと、その娘が自殺をするのではないかと恐れたこともあるでしょう」と応えていました。 おふたりのお話のあとでサイン会があり、私も日誌にサインをいただきました。そのとき、どうしても聞きたかったことをウォーターストン博士に尋ねてみました。 ミュージックホールの入口ちかくで、Cordially Yours Club(モードが暮らしたリースクデイル牧師館修復の寄付集めを続けているヴォランティアグループ)のメンバーの方に出会いました。その方が、「Cordially Yours Club に寄付をされた日本のモンゴメリファンクラブButtercups のミス アンドウの名前もはいりますよ」と言って、キルトの一片を見せてくれました。 Cordially Yours Clubが、このキルト活動を始める前に、Buttercupsの会員の方々が寄付をされていることから、「キルトに、Buttercupsの名前を入れてもらえないでしょうか」と頼むと、地元の方が「そうね。私の一存では決められないけれど、考えてみましょう」と言ってくださいました。 アックスブリッジの町では、モンゴメリ一家が、近くのリースクデイル村に1911年から25年にかけて暮らしたことを後世に伝えてゆくために、今後も町を挙げていろいろな催しをやっていきたいとのことでした。次回、訪ねるときには、安藤仁美さんのお名前いりのキルトを見ることでしょう。ミュージックホールを去る前に、牧師館がモードの時代を蘇らせることができるよう、小額ながら私も寄付をしました。 秋の夜長、モードの日誌4巻を少しずつ読んでいるこの頃です。 (この文章は「バターカップス」12月、第129号、1998年に掲載されたものです。) |
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