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10月最終の週末(30 & 31日)を友人とともにバラで過ごした。トロントからレンタカーで2時間(210km)ほど北へ向かうと、そこはトロント二アンのあこがれの避暑地ムスコカ地方。
(パンプキンとジェイソンとデイヴ) 10月に入って、一度小雪がちらついたそうだが、私たちが訪ねたときは、ぽかぽかの「インディアンサマー」。紅葉の時季は過ぎていたものの、ムスコカ地方の空気はいつもながらに清涼で、自然の美しさにかわりはなかった。 バラといえば、ルーシー モード モンゴメリが一家とともに1922年の夏の休暇を過ごし、のちにモードの「青い城」というおとなむけのロマンス小説の舞台となったところだ。 一家が食事をとった建物は、Bala's Museum with memories of Lucy Maud Montgomery (モードの思い出を偲ぶバラ博物館)として1992年に生まれ変わり、以来夏の観光シーズン中にオープンしている。
(写真:屋根を修繕中のバラ博物館) バラ博物館のジャックさんが、特別に私たちをブルーキャッスルツアー(青い城ツアー)に案内してくださった。数年前、Lucy Maud and Bala: A Love Story of the North Woodsと題する本を奥様と共著された際、バラ近辺をくまなくリサーチされたジャックさんの頭の中には、モンゴメリが描き出した「青い城」の作品の地理が納まっている。 「もちろん、自分の想像の域はでないけれど」と前置きされて、ジャックさんはモードが夫ユーアンの車の助手席に、後部シートにふたりの息子が座っているさまを、1922年の7月24日、暑い最中にリースクデイル村からバラまで、85マイルの道のりをごとごと運転してきた一家の様子を語り出した。当時は勿論、道路は舗装されていない。土埃をまい上げて一家はバラへ到着したことだろう。 バラに滞在中、モードは近所のマスタード牧師のコテッジを訪ねている。マスタード牧師は、プリンスアルバート時代(1890ー91年)のモードの先生であり、最初の求婚者でもあった。16歳のモードは彼を大嫌いと日誌に書き留めてはいるが、皮肉なことに、後の彼女の人生にマスタード氏は見え隠れする。モードがリースクデイルに越した頃、彼はトロントの長老派教会に務めていた。 ジャックさんは、なんと、このマスタード牧師のお孫さんに出会い、彼のコテッジのあった場所をつきとめた。お孫さんの話によると、マスタード氏は、第一次大戦の戦地から戻った息子とふたりで、1920年頃この辺鄙な土地に、すべて手作りで小屋を建てたという。独立心の強い「青い城」のバーニーのキャラクターを思い起こすではないか! バラから車で直ぐのムスコカ湖に面するその場所は、今や、まったく別のご家族が豪邸を建てて住んでおられる。私たちを連れたジャックさんが、その家のご主人に事情を話しかけると、彼は初対面の我々に「どうぞ、いいですよ。見ていってください」と前庭に案内してくださった。 立派な敷地に建つ2階建ての大きなログハウスは、藍い湖に面し、その前庭はゆるやかに湖へと続いている。岸に添ったところにボートやカヌーを止めるドックがつくられていて、先の方には飛び込み台が付いていた。ドックにうちつける波がタパン、タパンと音をたてている。
庭の何本もの大木が風にその枝をまかせ、金色の枯れ葉を舞い散らせている。湖面に落ちて、輪を描く枯れ葉たち。葉ずれのざわめきが、まるで雨音のよう。鳥の泣き声がどこからかやってくる。 庭の積もった枯れ葉の上をガサガサ音をたてて岸へおりてゆくと、白樺の幹の白い皮がところどころめくれているなかに、ぽつんとした赤い体のテントウ虫が2匹這っているのに、気がついた。大きな木と小さな生き物。いろんな自然のかたちにはっとする。 目前には、小島がふたつ。正面には大きめのミラマチ島、もうひとつ小さめのものが左手に浮かんでいる。ミラマチ島が「青い城」のバーニーの島ではないかとジャックさん。この庭のどこかに座って、真夏の午後のひとときをマスタード氏と過ごしたモードは、このとき目前の島を眺めながら「青い城」の構想を考えつつあったかもしれない。
(写真:枯れ葉舞うイン アト ローズ ローン) バラに戻って、モードの宿泊場所のローズローンのあったところへ。彼女自身が宿泊した建物は焼失してしまったが、敷地内にはもうひとつ同形の建物がある。ムーンリヴァーに面した広々とした芝地には、松の大木やメープルの木々がたっている。 夕日に輝く豊かな水の流れに見とれていたら、列車の汽笛の音が風に流れてきた。バラは生まれ故郷の香りがする、ここにいると夢をみることができる、とモードが悦んだのが、じーんとわかる気がしてきた。 (1999年11月14日 記) |
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