| 超ベストセラーの「赤毛のアン」
カナダの作家L.M.モンゴメリ(1874ー1942)のペンから生まれたAnne of Green Gables (邦題「赤毛のアン」)が、アメリカはボストンのペイジ社から出版されたのは1908年。今年はちょうど出版90周年にあたる。
「赤毛のアン」は出版直後からベストセラー。モンゴメリは一躍有名作家となり、世界の文学地図に彼女の故郷プリンスエドワード島の名を残したといわれている。1919年までには、30万冊以上が、1947年までに80万から90万冊が売れたという。今では、30カ国以上の国で翻訳出版され、この赤毛の少女アンは、世界中の読者を魅了し続けている。
アンがいっぱい!
とりわけ、日本でのアンの人気は衰え知らず。第二次大戦後の1952年に、村岡花子氏の名訳で三笠書房から出版されて以来、作家曽野綾子や翻訳家谷口由美子、掛川恭子を含め、10人を超えるひとが翻訳している。
「いろいろ読み比べてみたけど、やっぱり村岡花子の文章が好き!」という読者の声をよく聞く。生前、村岡花子氏は、読者の年齢層に合わせた訳文で、幾種類もの「赤毛のアン」を出版された。彼女の訳の一部は中学校の国語の教科書にも掲載され、多くの若者の心を捕らえている。今や、祖母、母、娘と三代続いてのアン及び村岡ファンも出てきている。
それにしても、英語圏の読者が出会うアンは、ひとりだけれど、翻訳者の持ち味の違いから、日本では、幾種類ものアンに出会えることになる。日本には、個性溢れるアンがいっぱいいるのだ。
本から飛び出したアン
1979年には、アンは本の世界から飛び出した。「赤毛のアン」はアニメーションになって、お茶の間に登場した。それまで殆ど知られていなかったカナダのプリンスエドワード島の美しい風景と、明るく元気なアンに魅せられた視聴者も多かったことだろう。
アニメーションにとどまらず、80年代以降、劇団四季が「赤毛のアン」を舞台化して好評をはくしている。テレビや舞台を通じてアンに出会ったために、本は読まずして「赤毛のアン」のストーリーを知っているという人もいるはずだ。
若い女性向け雑誌は、定期的にアンとプリンスエドワード島関連の企画を組んでいる。人気タレントや作家などが、舞台となった島の風景のすばらしさを語り、アンの前向きな生き方を賛美する。これらの雑誌には、「アンが作ったケーキ」などと銘打ってのお菓子作りや、アンの苦手だったはずのキルト作りも美しい写真いりで紹介されている。
多くの読者がアンの暮らしにあこがれ、アンが「世界じゅうでいちばんきれいなところ」と言った夢の島プリンスエドワード島へ行きたいと願う。今や、アンは、日本の出版業や旅行業界にはなくてはならぬ存在だ。
漫画になった「赤毛のアン」
さて、最新のアンをここで紹介しよう。アンの世界への入門編ともいえる、漫画「赤毛のアン」!パート1からパート3まである。そのうえ、続編の「アンの青春」と「アンの愛情」も今春3月までに、くもん出版から出される予定だ。
描いているのは、あの「キャンディ キャンディ」で人気を得た、いがらしゆみこさん。彼女にとって「赤毛のアン」は漫画家生活30周年記念作品というだけあって、念入りに描かれている印象を受ける。
内容は、モンゴメリの原作に基づいているとはいへ、漫画ともなると相当な割愛を免れない。本の中なら数ページはノンストップでおしゃべりするアンも、漫画ではせりふが最小限に押さえられている。それでも、アンが大きな瞳を輝かせ、画面いっぱいに活躍する様子は、ほほえましい。年少者の読者も、漫画でならアンと知りあうことができるだろう。
特筆すべきは、モンゴメリファンクラブ「バターカップス」会員、赤松佳子さんの丁寧な作品解説と「赤毛のアン記念館 村岡花子文庫」を主宰されている村岡恵理さんのエッセイが、巻末に収録されていることだ。
アンに学ぶ、ことばの魅力
大学で教鞭をとられる赤松さんは、「赤毛のアン」という作品の書かれた背景を述べた後、アンの「言葉への関心」の強さに触れている。「英語の原文で読むと、その言葉の美しさが、もっとよくわかります。言葉の力は、生きる力につながり、思いやりを生むものとなります。何気ない言葉への関心を呼びさましてくれるのが、アンという少女なのです。」
漫画のアンにとどまらず、邦訳のアンへ、ひいては原書のアンへと導こうとする、若い読者に対する細かい配慮が感じられる解説である。
村岡恵理さんは、花子氏のお孫さん。お姉さまの美枝さんとともに、亡きお母さまの遺志を継ぎ、祖母花子氏の書斎を記念館としてオープンされている。恵理さんのエッセイ「アンとの出会い」には、祖母の思い出話や「赤毛のアン」出版の経緯などが書かれている。
第二次大戦を前に、日本を離れることになったカナダ人宣教師から贈られた「赤毛のアン」の原書。それを、花子氏は、戦時中に翻訳したという。「空襲警報が鳴ると原書と原稿用紙は風呂敷に包まれ、家族とともに防空壕に避難しました。」村岡一家は、アンとともに苦しい戦争を耐え抜いたのだ。
戦後7年経って、花子氏の娘みどりさんの意向で「赤毛のアン」という題で出版されることになったときには、村岡家の皆さんは心底喜んだという。
恵理さんは、こう書いている。「”赤毛のアン”は単純なメルヘンではありません。プリンスエドワード島の美しい自然と、魅力的な登場人物の豊かな生活ドラマの中、モンゴメリから祖母を通して、女性が美しく、かわいらしく、しなやかな強さと理想を持って生きていくための言葉がたくさんこめられています。きっとそれは時代が移ろうとも色あせることのない真実の言葉です。」
愛読者にとって「赤毛のアン」は、「真実の言葉」溢れる人生哲学書でもある。日本では、多種の翻訳版があるうえ、今では漫画にもなって、書店や図書館の書架に並んでいる。これまで、アンに出会っていないあなた、または、昔読んだことあるけれど、と思い出しているあなた。北米では、90年の時を経て読み継がれている「赤毛のアン」に、今一度出会ってみてはいかがだろう。
(ひとりごと)私の手元には、新潮文庫第109刷目の村岡氏訳「赤毛のアン」があります。願わくば、三笠書房1952年版を、日本での「赤毛のアン」出版50周年を記念して、2002年にどなたか復刻出版して欲しいものです。
(上記文章は「オーロラ」1998年春 第22号に掲載されたものです。)
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