L.M. Montgomery Day in Leaskdale

10月23日土曜日、モード モンゴメリが1911年から26年にかけて家族とともに暮らした村リースクデイルで、ルーシー モード モンゴメリ デイが開催された。主催者は、モンゴメリの暮らした牧師館を記念館にしようと運動を続けているモンゴメリ委員会のメンバーと顧問役のウィルダ 、それに応援にかけつけた村の有志たち。

友人のベンとジェイソンと一緒にお昼にリースクデイル長老派教会に到着した。教会地下室での昼食会には、モード生誕125周年ということもあって、地元の人達のみならず近隣の都市からも参加者が集まっていた。

顔なじみのウィルダ クラーク夫人は、80代にもかかわらずお元気そのもの。私を見かけると両腕を拡げて駆け寄ってきてくれた。おおきなhug とほっぺたにkissを受ける。

95歳になられるエルシー ブシュビィ デイヴィッドソンさんも、席からわざわざ立ち上がって、「まー、また会えたわね」と私を抱え込むようにして、ほっぺたにkissしてくださった。

エルシーさんは、70年以上も前の若い頃、モード一家の住み込みお手伝いさんとして働いた方である。モードから家事一切を教えてもらって、それが自分の生涯にどれだけ役だったかを以前話してくださったことがある。今もモンゴメリのことをよく覚えておられるのには感心してしまう。今日は、水色のワンピースに真珠のネックレスをされていて、とてもエレガント。

(写真左から、敬称略:モンゴメリ委員会のナイナ エリオット、ウィルダ クラーク、エルシー デイヴィッドソン、ルース マクドナルド)

モードの誕生日用に特別につくられた大きな長方形の白いケーキには、ピンク色のクリームでモンゴメリの名前が彩られていた。ケーキカットをしたのは、モンゴメリの末息子スチュワートの妻ルース マクドナルドさんと、エルシーさん。地元の新聞社のカメラマンがパチパチ写真を撮っている。会場に集まったみんなで、ハッピバースデイの歌をうたう。天国でモードは聞いてくれたかな。

マッシュルームクリームスープ、エッグサンドイッチやハムサンド、紅茶にケーキとおなかが膨らんだ頃、午後の催しとして、ルーシー モード モンゴメリ アルバムの編者であるケヴィン マッケイブ氏とアレキザンドラ ヘイルブロンさんのモンゴメリに関するお話しがあった。

ヘイルブロンさんは、育ての親である祖父母マクニールに対するモードの冷たい愛情表現と、自分を捨てた父親に対する絶対的な愛情と信頼の寄せ方を対比して紹介した。

マッケイブ氏は、モードの日誌からいろいろなエピソードを紹介し、彼女の性格の複雑さを指摘した。また、モードの親戚のキース ウエッブ氏(90歳)が「モードおばさんは黒いステッキを持っていて、ふたりの息子のお仕置きに使っていた」というエピソードを紹介した。

ウィルダは、リースクデイル時代のモード一家の思い出として、村の男の子6人(そのなかのひとりは、ウィルダの旦那様のハロルドさん)が、おやつに呼ばれてアイスクリームをご馳走になったこと。日曜のミサに出る前に小川でひと泳ぎしたモードの長男チェスターが、びしょびしょのまま服を着て教会に現われたことなどを語り、私たちを笑わせた。

リースクデイルには、モードの思い出を語り継ぐ人々がまだ残っているのが、とってもうれしい。

午後2時半からは、モードが暮らした牧師館が、特別に一般公開された。一雨来たあとで、牧師館前の小さな庭の芝はしっとり濡れていた。切れた雲間からは、午後の金色の陽が、さーっと差してきた。10月の冷たい風に吹かれて庭のメープルの枝が、黄色の葉を揺らしている。野バラはすっかり枯れていた。

牧師館のポーチで、ウィルダとエルシーさんと立ち話し。マッケイブ氏が紹介した「黒いステッキ」の話しについて、モードを崇拝するウィルダがエルシーさんに「モードの黒い杖の話しは、いったい本当なの?」と聞いた。「杖は持ってたかもしれないけれど、そんなお仕置きはしていなかったわね」とエルシーさんが答えると、ウィルダは「ほら!そうだと思ったわよ。 マッケイブ氏に教えてやらなくちゃ!」とぷりぷりしながら牧師館へ入って行った。(マッケイブ氏によると、時によってモードはこどもたちへ体罰を施していたそうである。)

エルシーさんと別れた後、何度も訪れた牧師館内部をゆっくり歩いてまわった。2階へ昇る木製の古い手すりのついた階段は17段。

上がって左手の2階の主寝室に飾られていた黒いシルクの赤ちゃん服に眼がとまる。これは、死産だった次男のお葬式のときに長男チェスターが着たものだという。

ほかには、結婚式前にモードが作らせた黒いシルクのブラウスもあった。これはモードの大好きだったもので、首から胸元にかけてレースの編みめ模様がはいっていて、とってもおしゃれ。ウェスト部分をはかってみたら、約65cmほど。ブラウスの首周りや長袖の手首のあたりも、見ためがとても細い。晩年のモードは、とってもふくよかだったから、新婚時代の彼女がいかに細かったかが推測できる。

寝室を出てすぐの踊り場の窓から、道を隔てた向かいの家とリースクデイルの「恋人の小道」が望める。モードは、息子たちが「恋人の小道」を歩いて小学校から戻ってくる姿をこの窓から眺めたのだ。

(写真左手の道がリースクデイルの「恋人の小道」)

1921年8月11日、リースクデイルの牧師館でモードは日誌にこう記している。

「最近夜には、チェスターが生まれた夏 [1912年] の昔の日誌を書き写しています。あの頃はとても幸せだった。フレデリカはここに居たし、小さくて愛くるしく、ふっくらとした赤ん坊が生まれたし、夫は元気だった。チェスターが生まれた後の2年余が、これまでの人生でもっとも幸福な時期だった。」

リースクデイル時代のモードは、1914から1918年にかけては第1次大戦で心を痛める。1919年には、モードの最愛のいとこフレデリカが必死の看護もむなしく病死、夫の精神的な病の発作もこの頃から悪化し、モードの人生には暗い影が憑いてまわるようになる。

モードの喜びや悲しみ、苦しみなどの思いが染みついている牧師館。訪れる度に、妻として母親としての彼女を身近に感じてしまう。

ウィルダとエルシーさんがお元気なうちに、この牧師館がモンゴメリの思い出を残す記念館に生まれ変わるよう願わずにはいられない。

(1999年10月23日 記)

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