2001年、リースクデールのモンゴメリ・デイ再び

1911年から26年にかけて、L.M.モンゴメリが暮らしたリースクデイルの村にて、恒例のモンゴメリ・デイが催された。企画主催は、リースクデイルとその近郊の町ウックスブリッジの有志から成るモンゴメリ委員会。

今年は、委員会の顧問役で、活動に熱心だったクラークご夫妻の姿が見られないのがさびしい。(クラーク夫人は昨年末に他界。その後を追うように、ご主人は今年1月末に亡くなられた。クラーク氏は、幼い頃モンゴメリ一家と交流があった。)

10月20日の土曜日。曇り空のなか、ジェイソンの運転するレンタカーで、ベン(グエルフ大学にて英文修士をとったばかり。修士論文は勿論モンゴメリ)、最近知り合ったケリー(「赤毛のアン」関連でドキュメンタリー制作中のリサーチャー)とわたし(モンゴメリおっかけ歴7年)という一行。

ダウンタウンのトロントから車で一時間も北東に走ると、風景は紅葉の樹林となった。田園には、牛や馬の姿、サイロの立つ農場が眺められる。

催しは、午前10時のスタートだった。我々は11時過ぎに到着。催しのあるリースクデール長老派教会の駐車場は満員御礼だったので、路上に駐車。この教会は、モンゴメリの夫ユーアン・マクドナルド牧師が務めた場所だ。


ケイト マクドナルド バトラーさん

教会に入ると、丁度、ケイト マクドナルド バトラーさん(モンゴメリの末息子スチュワートの娘)が演壇にて、お話をされていた。「可愛いエミリー」のエミリーが亡き父へ呼びかけるように、ケイトさんは一度も会ったことのない祖母へ宛てた手紙という形でお話された。何度も「グランマ・モード(モードおばあさん)と呼びかける。時折、モンゴメリのリースクデイル時代の日誌から、この村の美しい風景描写を引用すると、聴衆は頷きながら聞き入っていた。

ケイトさんがしゃべり終えて教会の右手一番前の席に腰をおろすと、モンゴメリの初孫ルエラ ヴェネイレンさん(モンゴメリの長男チェスターの長女)が、左手の前の方の席から立たれて、演壇へ。ルエラさんはケイトさんの方を見て、にこにこしながら「グランマ・モードって呼んじゃだめよ。グランマと呼ばれるのが嫌いで、わたしは『Donny/ドニー』と呼ぶように言われたの。ドニーの愛称は、L.M. Montgomery Macdonaldのdoからとったのよ。」

ルエラさんは、モンゴメリの日誌にかわいい初孫として登場していて、モンゴメリに抱かれた写真も残っている。今も『ドニー』からもらった品々を大事にとっておられるそうだ。


ルエラ ヴェネイレンさん


左から、アンミルナ−さん、模型制作者エド パウエルさん、アンのお母さんパットさん。ミルナー一家は現在牧師館に居住されている


モンゴメリの暮らした時代を復元させた牧師館模型

今年のモンゴメリ・デイの目玉は、エド パウエルさん手作りのモンゴメリ一家が暮らした牧師館の精密な模型だった。ケイトさんが模型にかけられていた布をとると、教会にいた人々が一様に「うわ〜」と声をあげた。

これは、牧師館の建物や敷地を実測し、当時あった馬小屋、鶏小屋、トイレの建物、樹木、ガーデンなどを忠実に再現させたもの。その彩りのうつくしさも素晴らしいが、模型の緻密さには驚いてしまった。

製作されたエドさんは、ケベック州政府機関で模型作りをされていたプロとはいへ、退職後の今は80代。視力も指先の力も弱まったと仰っていたのに、出来上がった作品の見事なこと!製作には900時間ほど費やしての作業だったとエドさん(一日9時間としても100日!)。企画の段階からだと数年がかりだ。その行程すべてを無償で行ったエドさん。この模型は、牧師館修復を開始したカナダ政府機関パークス カナダのスタッフにとって役立つ貴重な資料となっているそうだ。

「模型なんかくだらない」と昨日言っていたベンは、実際、目の前にすると目が離せない様子。30分以上も見入っていた。「この模型のおかげで、モンゴメリの暮らしぶりが目に浮かぶようだ」とうなりながら。


エルシー・ デイヴィッドソン夫人と一緒に
デイヴィッドソン夫人2003年5月8日に百歳の誕生日を待たずして亡くなられました。


1920年代に牧師館に住みこみで働いたエルシー デイヴィッドソン夫人がいらしていたので、声をかけた。モンゴメリの家事労働を手伝っていたエルシーさんは、モンゴメリのお気に入りであった。

「モンゴメリの大好きな猫がいなくなったとき、みつけられたのはエルシーさんですね」と尋ねると、「ええ、そうですよ」とエルシーさんは、席からわざわざ立ち上がってゆっくり歩いて来られた。

私の横に立つと、つえ先で模型を指し示しながら、「玄関向って右手の庭に面した2階の部屋が、私の部屋でね。たまに猫が屋根をつたってはいってきたのよ。あの頃、うさぎもいたんだけどね。」

「馬もいましたよね。モンゴメリは馬車を駆っていたようですが。」(模型の馬小屋からは茶色の馬のミニチュアが顔を覗かせている!)

「そうでしたよ。それに、わたしもね。馬を御しましたよ。ガールフレンドに会いに行く友達を乗せてあげたりもしたね」と笑うエルシーさん。

「モンゴメリはどこで執筆されていましたか?」
「主にここだね」と、玄関を入って左手にあるパーラーを杖で示された。

問いかけるとエルシーさんはハキハキと応えてくださる。98歳とは信じられない記憶力だ。

日本から来られた大竹和代さんが、エルシーさんに「私の父は80代なんですよ」とお声をかけたら、「まだ、幼いひよっこだね」とエルシーさん。100歳までは生きたいし、牧師館が蘇る姿を見る迄は死ねないね、とも言ってくださった。エルシーさんのお嬢さんが「早く帰りましょう」とやってくると、しぶしぶという感じで杖をつかれながら、去って行かれた。本当はもっとモンゴメリ一家との思い出をおしゃべりされたかったのかもしれない。

お昼は、教会地下室で。100名ほどの参加者がそれぞれのテーブルについた。大竹さん御夫妻、ケリ−、ベン、ジェイソンとわたしでひとつのテーブルを囲んだ。朗らかな和代さんと、彼女をにこにこしながらみつめる優しそうなご主人のお姿に、いいご夫妻だなあとうらやましく思った。ケリーは日本から来られた「赤毛のアン」ファンの大竹さんご夫妻と話せるとあって大喜びで、いろいろ質問を放っていた。

ボランティアの女性たちが忙しそうに地下室の台所で働いていた。サンドイッチ、スープ、デザート各種、コーヒーまたは紅茶というメニュー。売り上げは、牧師館修復基金にいくことになっている。


大竹さん御夫妻のお話に聞き入るケリ−

午後には、モンゴメリを知る人々へのインタビュー集を出したばかりのアレキザンドラ ヘイルブロンさんのお話とサイン会があった。アレキザンドラさんは、モンゴメリのトロント時代(1935-42)を覚えている人々を見つけだすのは大変だったことを強調されていた。

その後、Lucy Maud Montgomery: A Writer's Life (年少読者向けのモンゴメリの伝記絵本)の著者、エリザベス マクラウドさんにも会えたので、購入していた彼女の本にサインをしていただいた。表情がやわらかで、たいへん感じのよいエリザベスさん。会う前に何度かメールをやりとりさせていただいていたので、とても初対面とは思えなかった。

地下室でモンゴメリ関連の書籍販売のテーブルにおられた女性が、わたしを見かけるとにっこりとして、「わたしはウィルダの娘です。母はあなたと、日本のお友達との思い出を持って天国に行ったことでしょう」と言ってくださった。うれしくて、じーんとした。彼女の丸い面だちがあまりにもウィルダそっくりで、急に、ウィルダがここにいないことがさびしくてたまらなくなった。

リースクデール時代のモンゴメリの思い出を残そうと、1960年代から亡くなる直前迄、カナダ連邦政府やオンタリオ州政府に働きかけ続けたウィルダ クラーク夫人。ウィルダを支援しようと、数年前には地域のボランティアがモンゴメリ委員会を結成させた。

ウィルダの遺志をひきついだ人々の活躍で、今年のモンゴメリ・デイは、多くのモンゴメリファンを集め、成功裡に幕を閉じた。

(2001年秋)

コピーライト 梶原由佳、写真撮影D.Jason Nolan

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