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下記は月刊「eとらんす」2000年12月号に掲載された文章に、やや手を加えたものです。
「赤毛のアンの本棚」第11回
梶原由佳
故郷を描いたバリとモンゴメリ
ヴィクトリア時代、子どもに与えるべき本といえば、教訓めいたものや道徳的な内容のものが多かった。その反面 、独創的なフェアリー・テイルが数々と生み出された時代でもあった。なかでも、この時代の終焉を飾ったのは、永遠の子どもピーター・パンを生み出したJ.M. バリ(1860-1937)だろう。
バリは、子ども向けの作品以前に、故郷であるスコットランドのKirriemuirを舞台にした"Thrums"の作品群で、その名を英国内のみならず新大陸アメリカにまで知られるようになった。同じくスコットランド出身で、「宝島」の作者として有名なロバート・ルイス・スティーブンソン(1850−1894)は、バリの才知を認め、天才だと讃美してやまなかった。
モンゴメリも、バリのいくつもの作品に親しみ、日誌には彼の名が何回も登場している。トロント公共図書館のオズボーン・コレクションには、"October 11, 1900"の日付けとモンゴメリの直筆署名が記されたバリの著書When a Man's Single (初版1888)が所蔵されている。
1900年といえば、モンゴメリは父親を亡くし、後ろ楯をなくして将来を憂えていた頃だ。自分がペンで身をたてられるか、自分の文才がどれほどのものであるか思慮していた。そんな彼女の読書傾向は、この頃変化している。
「つい最近まで、私はフィクションがいちばん好きだった--歴史や伝説には関心がなかった。しかし、最近この点において私の好みはとても変わった。フィクションはもはや私を満足させないし、実在の男女が何をし、考え、耐えたかを読みたい。」(モンゴメリ日記、1900年5月1日、 桂宥子 訳、立風書房)
文筆で自立したいと願っていたモンゴメリにとって、実在の作家バリのジャーナリスト時代の伝記的作品When a Man's Singleは、大いに役だったに違いない。翌1901年からおよそ9ヶ月、モンゴメリも新聞社で働いている。
どんな題材も記事にしていたバリほどではかったが、モンゴメリは週一本のコラムも担当し、インタビューを体験したり、雑役をこなしながら記事を書きあげる日々を過ごした。
後に、「赤毛のアン」で名声を得たモンゴメリ自身、作家としてのバリとの共通点を見い出している。バリは舞台設定の雰囲気作りや登場人物を創造する力に優れていること。そうして自分もそういった表現描写 のコツを持っているのではないか、それだからこそ愛読されるのではないか "In a much smaller degree I have the same knack myself and that is why my books are liked"と1923年4月14日の日誌に書いている。
バリの"Thrums"の作品群は、母親から聞いた古き佳き時代の故郷の話を丹念に描いたものだ。その土地の真実味溢れる描写に惹かれた読者が、kirriemuirに押し寄せるようになり、現在も観光地となっている。モンゴメリ自身、1911年の新婚旅行でバリの故郷を訪れ、再び訪ねたいとまで思っている。
モンゴメリはバリの人生に興味を持っていたようだ。Tommy and Grizel(1900)を読んで、主人公Tommyは作者バリ自身を投影したものではないか、できれば彼の伝記を読みたいものだと日誌に記している。モンゴメリの予想どおり、Tommyは作者自身の少年時代を色濃く反映している作品だといわれている。
モンゴメリは、自身が一番知っていることや覚えていることを克明に描くことの大切さをバリの作品から学んだといえよう。アン・シリーズをはじめとして、数多くの長編を残したモンゴメリだが、その殆どが故郷の島を舞台としている。バリが彼の故郷を有名にしたように、モンゴメリは自分が生まれ育ったプリンス・エドワード島を描き続け、その名を世界の文芸地図に載せたのであった。
copyright Yuka Kajihara 2001
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