赤毛のアンの本棚の目次へ戻る
下記は月刊「翻訳の世界」2000年4月号に掲載された文章に、やや手を加えたものです。
「赤毛のアンの本棚」第3回
梶原由佳
アンとアリスの不思議な関係 その2
モンゴメリ(1874−1942)は、私が書きたい子ども向けの作品は「”芸術のための芸術”--いや、むしろ”楽しみのための楽しみ”みたいな作品で、スプーン一杯のジャムの隠し味みたいに、教訓(モラル)がどこかに陰険に潜んでいるものなんかじゃない」もの、と1901年8月23日の日誌に記している。(注1)
この言葉から、依然として、子ども向け作品に対するモラル重視の風潮が残っていたことが伺われる。
過去を振り返ってみると、児童文学の先進国といわれる英国では、ヴィクトリア朝以前の18世紀から19世紀半ば頃までは、礼儀作法書、道徳物語、教訓書や Informative books と呼ばれる、現代でいえばノンフィクションなどが主流であった。それらは、いわゆるファンタジーやモンゴメリが求めるような「楽しみのための楽しみ」の作品とは、対極関係にあった。
|
|
19世紀、Informative books が一世を風靡した時代があった。アメリカ人作家サミュエル・ゴッドリッチ(1793−1860)は、昔話や妖精物語のような、残酷で嘘偽りの話を子どもに与えるべきではない、事実のみを教えよと主張し、地理や歴史書などをピーター・パーリーの名のもとに1820年代以降次々と出版した。英国でももてはやされ、別 な作家がピーター・パーリーを名のった本も大量に出回った。 同じ頃、もと教師だったウィリアム・ピノック(1784−1843)は、世界各地の地理や歴史を暗記させる目的で「ピノックの教理問答シリーズ」と題して、なんと80冊以上も出版した。「フランスの首都はどこですか?」「はい、パリです」といった問答が延々と続いている。アンがこの教理問答シリーズを読むとしたら、『「想像の余地」がまったくないわ』といって嘆くことだろう。想像力を否定するダイアナのおかあさんタイプなら、事実や暗記重視のゴッドリッチ達の思想を大歓迎するにちがいないけれど。 こんな子どもの本の氾濫に物申したのは、スコットランドの政治家の娘キャサリン・シンクレアー(1800−1864)だ。彼女は「次世代を担う子どものなかからは、詩人も才人も雄弁家も生まれないだろう。何しろ若者向けの本といえば、一般 に無味乾燥な事実を記したものばかりで、感情に訴えるものでもなし、空想を刺激もしない」(注2)と嘆いたウォルタ−・スコット卿(1771−1832)の言葉に触発されて、「ホリデー・ハウス」(1839)を著した。この中で、シンクレアーは「大草原の野生の馬」のようなわんぱくな子ども達の日常をユーモラスに書いたと述べている。「ホリデー・ハウス」は、子ども本来の在るべき姿を肯定的に捕らえた希有な作品で、英国児童文学史上初の快挙ともいわれている。 |
ルイス・キャロルは、この「ホリデー・ハウス」を1861年のクリスマスにアリス姉妹に贈っている。そうして翌年の夏、船遊びを共にした姉妹から「変なお話を」とねだられて語って聞かせたのが、後の「不思議の国のアリス」となった。彼はシンクレアー同様、子どもは寡黙で従順であるべきというヴィクトリア時代の常識を逸脱した、おしゃべりで活発なアリスを描いた。また、アリスの作品中では、ゴッドリッチらの事実重視の考えや、「ピノックの教理問答シリーズ」を暗に揶揄してもいる。
何しろ「不思議の国」や「鏡の国」では、事実の概念自体が反転しているし、うさぎ穴におっこちたアリスは、動転してしまい、暗記していた事実をすっかり忘れてしまう。「知ってたことを今も知ってるか、ためしてみよう。ええっと、四かける五は十二、四かける六は十三(中略)かけ算なんてだめよ。今度は地理を試してみよう。ロンドンはパリの首都で、パリはローマの首都」(注3)という具合。
こんなノンセンスな「不思議の国のアリス」は、児童文学史上の記念碑的作品といわれ、これ以降アリスに続けとばかり、若者向けのファンタジー作品や長編小説が生まれるようになった。
さて、「赤毛のアン」は、ヴィクトリア朝後期にあたるカナダの小さな村を舞台にしている。アヴォンリー村の大人達は、聖書の教えを守り、行儀作法にやかましく、慣習や伝統を重んじている。また、マリラは「不思議の国のアリス」の公爵夫人のように教訓を口にするが、それらが、押し付けがましくないのは、あらゆる場面 で茶かされているからだろう。
例えば、敬うべき年上のリンド夫人の前で癇癪玉を破裂させたアンが謝罪する場面の大仰さ、お行儀よくしていたはずのお茶の席でダイアナを酔っぱらわせたり、お行儀よくふるまおうと努めたお客さまの前では、鼠が落ちていたソースが騒ぎの原因になったりする。マリラのプディングソ−スの壺に溺れたのは鼠だけれど、アリスのお茶会では、ティーポットにネムリネズミがつめこまれていたっけ。
「赤毛のアン」には、 スプーン一杯ほどの教訓が込められているかもしれないが、ユーモアたっぷりのエピソードがいっぱいで、教訓臭を感じないですむ。そのうえ、言わずもがな、シンクレア−が泣いて喜ぶような、想像力豊かな少女が大活躍している。
モンゴメリは、半自伝的作品といわれているエミリー・シリーズで、主人公エミリーに、「『不思議の国のアリス』これはじつに面 白いと思います」(注4)と言わせているが、モンゴメリが書きたかった子ども向けの「楽しみのための楽しみ」の作品のヒントは、アリスのような物語だったかもしれない。
アンとアリス、どちらも、幅広い年齢層に読まれ続けている。その理由のひとつは、ヴィクトリア朝の旧態依然の児童観を覆し、教訓をユーモアでくるんで、愉しみを追求したところにあるのだろう。
注1 「完全版 赤毛のアン」山本史郎 訳、原書房 刊、452ページより引用
注2 Holiday House by Catherine Sinclair, Edinburgh: William Whyte and
Co. 1844
注3 「新注 不思議の国のアリス」高山宏 訳、東京図書
注4 「可愛いエミリー」村岡花子 訳、新潮文庫
赤毛のアンの本棚の目次へ戻る