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月刊「翻訳の世界」2000年3月号に掲載された文章に、やや手を加えたものです。
「赤毛のアンの本棚」第2回
梶原由佳
アンとアリスの不思議な関係 その1
「身震いするほど、わくわくする」と アンが期待する物語は、たやすく気絶できるヒロインが、複数の恋人をもつといったロマンス小説(註1)だが、19世紀のヴィクトリア朝には、多くのこどもや大人をわくわくさせる作品が生まれている。
なかでも、児童文学史上これなくしては語れないのが、数学者ルイス・キャロル(1832〜1898)がひとりの少女の為に書いた奇想天外なAlice's Adventures in Wonderland (不思議の国のアリス)(1865)とユーモラスな言葉遊びいっぱいのThrough the Looking-Glass and What Alice Found There (鏡の国のアリス)」(1871)だ。これらは従来の子ども向けの物語をはるかに超えたファンタジーである。
L.M.モンゴメリ(1874〜1942)も若き日にキャロルの作品に親しんでいる。「赤毛のアン」(1908)では、アンの養母マリラが「不思議の国のアリス」に出てくる教訓好きの公爵夫人に喩えられている。また、「鏡の国のアリス」に出てくる「せいうちと大工」の詩の一節「靴だの-- 船だの--封鑞だの--キャベツのことやら--王様のこと--」は余程お気に入りであったのか、初期の「アンの愛情」(1915)から、晩年の作品「アンの幸福」(1936)や「炉辺荘のアン」(1939)にまで、一部分が引用されている。
さて、モンゴメリもアリスに似たところがあったようだ。少女時代に本棚の楕円形のガラスに写る自分の姿にケイティーと名付けて遊んだことを自伝や日誌の中で語っている。「ケイティーにぺちゃくちゃとおしゃべりしながら、秘密を打ち明けたり、打ち明けられたりしたものだ。とくに、夕暮れの頃が好きだった。暖炉に火がつき、部屋の中が光と影の交錯する見事なイメージとなって、ガラスに映し出されるからだ」(The Alpine Path, p.47)(註2)これは、そのままアンの体験として「赤毛のアン」に描かれている。
ガラスや鏡のイメージは、モンゴメリ自身やアンにとって「鏡の国のアリス」のような異次元への扉であった。モンゴメリやアンは想像で鏡の世界に遊んだが、アリスは、子猫を相手にひとりごちながら暖炉の上の鏡を通り抜けて、反対側の国でチェスゲームに参加することになる。
鏡の国に着いたアリスは、文字があべこべに印刷された一冊の本をみつけて言う。"Why, it's a looking-glass book, of course." さてさて、英語圏の児童文学における looking-glassには、文字が逆に印刷されたというわけではなく、道徳や教訓を説いた作品という意味あいがある。善い子になりなさいという主題のArnaud Berquin (1749〜1791)の L'ami des enfans の英訳版は、The Looking-glass for the mind; or, Intellectual mirrorという書名で1792年に英国で出版され、その後19世紀末まで幾度も版を重ねた。
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子ども向けの格言集を出したJ.トラスラー牧師(1735〜1820)は、知恵者が愚か者の顔に鏡を見せているイラストを用い、「この絵がすべてを象徴している。自分自身を見つめて知ることがもっとも大事なレッスンだ」と述べている。 また、「幼な子の心は、見習い真似ることで育つ」と説いたウィリアム・ゴッドウィン(1756〜1836)が表わした伝記作品の書名は、そのものずばりThe Looking Glassである。 |
子ども向けの物語を数多く執筆したメアリー・エリオットは、その道徳的な作品内容を暗示するかのようにa Looking-glass makerというペンネームでデビューしている。19世紀半ばには、The Laughable looking glass for little folks (ちいさな子どものためのおかしな鏡の本)といった絵本も出ている。これは、ドイツのホフマンの「もじゃもじゃぺータ−」のように、悪い子は罰をうけちゃうぞ!といった、ブラックユーモアの詩がはいった教訓絵本だ。アンの養父マシューがこの絵本を見たなら、きゅうりの苗床の芋虫に感じる以上に「ぞくぞく」してしまうかもしれない。
このようにlooking-glassには、教訓や道徳重視の作品という意味が込められているのだ。ところが、looking-glassを書名に入れながらも、キャロルはその伝統的意図をひっくり返して、教訓や道徳臭さを超越した楽しめる作品を創作した。
一方、書名にこそなっていないが「赤毛のアン」でも鏡(looking-glass)は大切な役割を果たしている。モンゴメリの場合は、J.トラスラー牧師のように、自己を直視せよという意味で鏡を用いた。
アンは踊るようにとんでいって、小さな鏡をのぞきこんだ。あごの細い、雀斑だらけの顔と生真面目な灰色の瞳が、アンを見つめかえした。 「あなたは、ただのグリーンゲイブルズのアンよ。レディコーデリアと思いこもうとしても、ごらんの通りだわ。でも、どこの誰でもないアンより、グリーンゲイブルズのアンの方が、百万倍もいいわ」(註3)
空想癖のあるアンが、現実の自分を見つめ、自分のアイデンティティを自覚するのは鏡をのぞくときである。どうやら、アンとアリスどちらの作品にとってもlooking-glass は、それぞれ重要な意味を持っているようだ。
註1「赤毛のアン」第13章参照
註2「完全版 赤毛のアン」山本史郎 訳、原書房 刊、524-525ページより引用
註3「赤毛のアン」第八章、松本侑子 訳、集英社 刊
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copyright Yuka Kajihara 2001